山寺の葬儀

昨日は実家の祖母の葬儀が松源寺で執り行なわれた。19日の14時17分に永眠し、23日に火葬し午後から、葬儀。
従兄弟や叔父、叔母、祖母の兄弟姉妹と祖母の甥、姪が揃った。
祖母の甥、姪に当たる方々とは20数年ぶりの再会であり、その再会に涙が出た。祖母の遺影は、今年の元旦に撮影したもので、笑っているように見えるし、泣いているようにも見えるものだった。
また通夜では、祖母の愛娘夫婦からは、祖母のひ孫にあたる彼女らの孫達の活躍ぶりの話を聞き、祖母が残した血統を、祖母自身がずっと誇ってきた内容でもあった。
葬儀の前、寺の本堂の窓から空の明かりが、正午の眩しさから黄昏ていく様を見ながら、幼少に慣れ親しんだ風景や人々が空の明かりの如くに移り過ぎた事を内観(ながめ)ていた。
黒白の籏に太筆で筆記された祖母の名前の「き」の字が、能面の鬼のようにも観えた。
祖母の鬼の顔は、愛娘や彼女らの息子達、祖母の誇ってきた孫らは観た事はないのだ。
祖母と両親で歩んで来た、涙なくして語れない祖父との日々、愛しくもあり、誰に誇れるものでもない。
表の顔と裏の顔。神の顔と鬼の顔…。泣くに泣けず、涙をこらえて鬼の顔になり、血気土気で鬼となる。
今後の自分の人生、ニコニコ笑顔で歩んで行きたいと思った。
実家の両親共々にお世話になっている近所のおば様が、介護でも子育ても、もう限界…と言うところで道が開けると笑顔で言ってくれた。
幼少期は、色んな事があったが、地域の皆さんに支えられた日々でもあった。
精進落としでは、お礼の挨拶に周りにも行けずにいたが、どんな形にしてもいつか恩返しが出来たらと思った。