Death education

 先日2日の14:15に64歳の叔母が永眠したと、連絡を受けた。父親の声が、詰まっていた。明日の葬儀の香典を、出席する弟に託し、弔電を用意した。用意された文書と、少しのメッセージを入れた。沢山の文書など必要ではないのだからね。
 叔母の見舞いに行く前日に、受け持ち患者さんのエイコさんが「ねえ、看護師さん。私の命はどのくらい?私も準備しなくちゃいけないし、家族と相談しなくちゃいけないから教えて。」と涙ながらに言われた。どう返してよいかわからず、主治医に伝えると返事をした。私は明日、叔母の見舞いに行くのだと伝えた。早期退院を望まれていたので、松本在住の息子さんとお嫁さんにも、自宅へ帰りたいという希望を伝えた。ご家族も、エイコさんの希望に沿うように休暇をとってくださった。今ごろは、エイコさんは家にいて、家族とともにいる喜びをかみ締めているのだろう。
 叔母の見舞いの翌日に、エイコさんが、「看護師さん、叔母様はどうだった?」と声をかけてくださった。私はすっかりエイコさんに見舞いへ行く話しをしたことさえ忘れてしまっていたので、一瞬立ち止まった。まもなく、2日前のエイコさんとの会話を思い出して、「声をかけたら、眼を開いてくれたよ。人工呼吸器以外の治療は全て行っているよ。管が3本に24時間の透析。よく頑張ってくれている。」と話した。
「そう・・。大変ね・・。」と伏目がちにエイコさんは答えてくれた。
 ちょっとした沈黙の後に、エイコさんのベッドサイドのラジオから、坂本 九の「明日があるさ、明日がある〜♪・・・あしーたがアル、あしーたがアアルウさ〜♪。」と流れた。エイコさんが、「明日があるなんて、いいことね。坂本 九ちゃんの歌はいい歌ね。」と言った。
 「エイコさん、明日はずっとあるんだね。ありがたいね。死んでも明日があるんだよ。住むところが違うだけなんだって。」と言ったら、エイコさんは間髪いれずに噴出して笑った。「面白いわね〜!朝から。」エイコさんの笑顔、大笑いの笑顔は入院以来初めて見た。
 アメリカやヨーロッパは、スピリチュアルな概念が日本より進んでいるのだろうか?
Death educationが、ホスピス・ケアでは重要なのだと位置づけされているように思う。日本の文化そのものが、スピリチュアルの概念がないので、死を迎えようとするヒト、その家族に死の教育は難しいし、現に生きている私たちが死後の生活について教育などできるものではない。一部は宗教観や宗教の教えを知っているヒトや臨死体験をしたヒトが、死後の世界について知っているものの、タブーな世界の話に捉えられてしまっているように思う。
 佐久在住の彗星探索家の方が、以前に心肺停止したときに体験した講演を、看護師の集まりで聴いた覚えがある。この方は、ターミナルの患者さん方の講演も行ったと言っていた。このような情報がもっと一般的になればいいなと思った。
 とは言え、触れ合うということは、肉体をもっているからこそできる愛情の営み。親子、夫婦、子女、友人、知人が全ては愛の中で生きている証でもある。どんなに肉体を脱いで、翼が生えて次元の違う世界で生きるのだ、と言ってみても、触れ合うことのできない寂しさ、悲しさは耐え難いものだ。
 叔母の一人息子のツヨシくんが「なんかね、実感がわかないんだ〜。ひょっこり帰ってきそうで。でも通夜や葬儀で色んな想いになるんだろうけれど。」と、叔母の亡くなった夜に電話したら、淡々と言っていた。彼なりに、父親を支えなくては、という使命感のようなものがあったのだろう。叔父は涙声だった。

 「死を考えることは、どう生きるのかということでもある。」 Rev.moon