祈り

兄弟喧嘩のメールで、弟から、私への恨みは一生消えない、と怒りのメールが来た。弟の売り言葉に、相変わらず反応する私は、弟の前では、精神年齢は小学生になっている。
姪っ子の教育について弟なりに考えているのだろうが、メールの内容みるかぎり、神経質すぎないのか?などと口を挟む私。弟からは私は看護師に思えない素人だ、と、痛いところをついてくる。遠回しに子供がいないくせにと言われている。
それにしても、関を切ったように弟の心の奥底には目を背けたくなる程のものを見た。
かつて、弟は離婚をしているが、最初の結婚の時には、私だけが反対をしたのだ。あの頃の弟は、荒れていた。昔はそんな弟を救ってあげたいと、正義感たっぷりに思っていたが、もう私の使命は終わっている事に気が付いた。
弟にメールした。私を一生恨んでてもいいよ。安心して、貴方より私の方が寿命は短いし、学歴も私より上だし(私は准看護師)、再婚し家庭があり、妻側の家族からも歓迎を受けており、皆、弟の応援団だ。と、メールした。
この頃、死ぬ事を身近に感じてる私は、弟に恨まれようが、人に恨まれても死んだらそれまで…みたいに、吹っ切れた。
弟の結婚により、私の友人は私の義理の妹になった。結婚後、弟の礼節が足りない事を、随分と口煩く言ってきた。かなりの勢いで、言う私は悪魔そのもので、義理の妹もそんな私に泣いてきたと思う。私は友人から、小姑の位置になったのだ。かって、母親を苛めて泣かせた、大嫌いな小姑に私もなっている。嫌な役だね。
義理の妹や、義理の妹のご実家の方々の愛情深さに弟は弟らしく優しい人になっている。身内に出来ない事、すなわち弟の心を開く事は、他の誰かがやってくれているのだ。
今日の準夜は暗い顔をしていたら、よっし〜が、身内のイザコザはどこにもあるよ。身内だから難しい。と、よっし〜の苦労話を聞かせてくれた。仕事中も弟の事が頭から離れず、泣きながら仕事をしていた。
そしたら、黄疸で全身がまっ黄な患者さんがそんな私を見て「泣くのも幸せのうち。」と言ってくれて、吹き出して笑ってしまった。私はもっと人の気持ちが分かるには親になると良いのだろうが、今のところ叶えられない自分の無力さを感じている。
私のメンターからメールが来た。
「忍耐し、死ぬまで愛し続ける事。身内を愛せない苦しみであれば、身内以外の人々を愛し自分を訓練しなさい。」と言うメッセージだった。私は忍耐が大嫌いなので、精神年齢が低いのだ。
私から見ると、弟は美味しいところを持っていくように小さな時から感じていた。
私の心の拠り所は聖書に出会って、少しずつ変われたのだ。聖書のみ言にであわなかったら、私を無視しつづけてきた弟に、自分の友人を紹介したりはしなかったが、聖書のみ言よりも、私の心の邪心が弟を許す事を許可しなかった。
私はなんつ弱い人間なのだろう。
神様に祈った
私に強靭な肉体をくださいと祈ったら、病を患う人の気持ちが分かるようにと、乳がんを頂いた。
私に子供をくださいと祈ったら、それよりも大切な愛を学ぶようにと、人から恨まれた。
許せないと訴えたら、謙遜を訓練するようにと傷ついた。
幸せになりたいと祈ったら、親の心を知るようにと地獄を見た。
全ては、神様によって生かされ、私の誠の願いは叶えられた。

どのように死ぬかは、どのように生きるか、と言うこと。

肉体を持っていると言うことは、100パーセント誰もがやがて死を迎える。私もやがて皆のお世話になって死んでいくのだが、私は自身の子供がいないので、親子の濃い関係から少し離れた方々にお世話にならなくてはいけないのだろう。死ぬ時にはどうか楽に、そして周りの人々が疲労困憊せずに、憎まれるよりもできれば喜ばれる存在でありたい。
日常生活を送ると、自分としては理不尽な現象を体験したりする。そういうことを体験するのが人生なんだろう。
私には弟がいるが、この関係は腹を割って、打ち解けると言う存在ではなさそうだ。兄貴と妹と言う存在であれば敬いの対象となるのかもしれないが、弟となると、幼少から姉はしっかりしろ、と母親に甘える事はなく、むしろ叩かれて育ち、弟はいつまでも母親にべったりで、私からすれば羨ましい存在であった。地域でも意地の悪かった、嫁イビリの天才大正初期生まれの祖母に育てられた私である。
母親は姑と、姑ソックリであった小姑への気遣いが、全ての優先順位だったのだ。母親もストレスが貯まると、私に当たるか、自身の夫に当たるかであった。私の父親も、子育てに関与はした記憶がなく、父親もキレると母親に暴力を奮ったり、私の思春期となり、父親に対して尊敬とは反対の立場をとれば、背中を蹴られた記憶がある。楽しい記憶がなかった訳ではないのだろうが、それらを吹き飛ばしてしまう辛い経験が大きい。
二度と体験はしたくないと思いながらも、結婚して何年か立ち、夫婦ケンカになり、かとて父親が私にしたように、私は夫の背中を蹴った。
自分自身に流れている血は、父親の暴力、母親の暴力と同じ血であった事に自責と愕然とした事実に凍ってしまった。
現在、両親はこの何年かで本当にお互いを頼りにし、少しづつ思いやる心も出てきたとおもう。
今後の人生は、家族や氏族が幸せになるように祈りながら、私もお役に立てれば良いな…とも思う。なのに、弟と会うといつもいい気持ちになれないのはなんだろうね。私も随分と弟に嫌味を言ってきたので、弟も自分を守ろうと必死なのだろう。